パンドラの箱

パンドラ
「神によってはじめてこの世にもたらされた女性」
ギリシャ神話にはこう書かれています。

心に企みと盗みの性を持つパンドラは、神々が人間を
苦しめるために、つくりだした、開けてはならぬ壷(箱)のふたを取り
中の諸悪を地上に拡散させてしまいました。

諸悪とは、わざわいや、種々の病気や、人に死をもたらすであろう、辛苦などを指します
ゆえにパンドラも、自らの人生の中であらゆる辛さを経験することになりました。
親のいさかい、家族の離散、そして自分自身の病気・・・

パンドラはあわてて箱のふたを閉めてしまいます。(悪いことはもうたくさんよ)と
でも箱の中からは、こんな声が聞こえてくるではありませんか。

「開けてください私をここから出してください。私の名は希望です。今のあなたに必要なものです」
 

でもパンドラは耳を両手でおおい、箱に背を向けてその声を聞こうとはしませんでした。
パンドラは災禍のみを解き放ち、希望を箱の中に閉じ込めてしまったのです。

”パンドラの箱”は神話の中の話です。しかし、今現実に立ち返っても私たちは「わざわい、不幸」
に出会うと、それが人生のすべてであるかのように、それ以上の災禍を恐れて心のふたを閉めて
しまいがちです。そして心の奥にもっとも大切なものが閉じ込められていることに気がつきません。

ということで・・・

これから話す事はとっても重い話。
ひょっとしたらパソコンの底が抜けるかもしれません。(笑)
要注意!デンジャーゾーンに入っていきます。
心の準備が出来ない人は、とっとと退散してください。(笑)

それでは正直に告白します。

じつは私一五歳の時不登校を経験しました。
えーってある時誰かに言われました。今の私から見ると考えられないことです。
しかし本当に今で言う「ひきこもり」にも似た状態になりました。
めちゃくちゃ活発な少年が、幼児期からの甘えを引きずったまま大人の入り口に入る頃、
思春期の恐ろしさでしょうか、私はどん底に落ちました。

それこそパンドラの箱がもたらした」、種々の病気ではありませんが、
そこから希望が挫折に変わっていき、人に逢うことすら自信のない、暗いトンネルに入っていきました。(ホントに停電状態)

友達の強引な行動や、家族の目に見えないささえによって立ち直りますが、復学は難しく
運命的な出会いよって美容師の道を選びます。(カッコイイー)

しかし、不安定な行動を繰り返すうちに、再びわざわいを引き寄せます。
運転中に眠ってしまったのです。
「ガッガー!ドン」・・・お目覚め
頭から血が流れるのをバックミラーに写し
「東映やくざ映画」の菅原文太を思い出してました。(アホ)

そんな奴だから、命の恩人のガードレールに感謝もせず相変わらず、チャランポランな仕事と生活を続けていました。事故から半年後私の心の中に変化が訪れます。

腰骨に衝撃が走るというか、脳天にひらめきがあったというか、「やるぞー」っという感情が湧き上がってきたのでした。それは一瞬でした。

ここで格言「人は一瞬で変われる」・・・ホントですよ

しかし次の日私はとんでもない事に遭遇します。
その朝、チャランポランしていた昨日までの私はいません。

やる気だけです。こうゆう時は ”あぶない” いつもより早く起き、店に行く前に済ませておきたい用件のためいつもと違う道に車を走らせていました、相変わらずのラッシュ。用件は2つ。

交差点にさしかかった時私は先頭でした。左に曲がれば一つ目の用事が済みます。
しかし直線の先にもう一つの用件があります。私はまっすぐ進むためアクセルを踏み込みました。

いつもならラッシュでのろのろの道だと思うのですが、その時だけ対抗車線もガラガラ。(運命のいたずら?)
その時です。信号つき横断歩道を通過しようとした時、小型貨物車の陰から・・・

人が飛び出てきました。(人生抜群のタイミング)
私は「なんで人が出てくるんじゃー」と叫びました。

もちろんアクセルを踏み込んでいる状態。車の信号は青。右に切ったハンドルは残念ながらチョット間に合わず

「ドン」

「やちゃった」・・・「人間ひいちゃった」・・・
私は無傷。相手は・・・かすり傷?甘~い
どうなったかって?・・・怪我したに決まってます!
「あ”-人生この先真っ暗」と思いました。

私はこの時期に多くのことを学びました。
一番感じたのは恐怖でした。体の震えがが止まらないような恐怖です。
そしてその恐怖も、思いによって、人によって、言葉によって薄れていきました。

そして気がつくと、どことなく図太くなっていました。(笑)

そのような出来事から今でも私は、自分が試される時期があると思って生きています。心をどんなに入れ替えても、元の自分に引きずり戻そうという力がどこからとなく働き、新しく変わっていくことを邪魔をする。それを克服する過程が一番大切で結果はあまり大切ではないと思います。

パンドラの箱から出てきた災禍は、私たちにとっては問題集のようなものでしょう。そしてこの問題集は「カンニング」OK。解らない時は自分で解く必要もありません。解る人に聞いてもいいのです。解けなかったら忘れましょう(爆)

どんなに不幸が続いたとしても、パンドラのように恐ろしさでふたを閉じないように、ふたは常に開けっ放しにすることで「希望」という大切な力がきっと出てくると思います。

パソコン大丈夫?底抜けていませんか?・・・ここまで読んで頂きありがとうございます。   

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