フレームのつけ方

北野武さんの言葉にかたやまが感じたことを書く6回目。

なぜ、タケシさんの言葉を続けて書いてるのか?

表舞台に、人としての思いをぶつけてきたからです。ずっとそれを見ていて好きでしたから、いい機会だと思ってやっています。芸能人としてはやはり稀な人だと思っています。

(10)ㅤ臭いものには蓋をする文化とでもいうか、最近は世間がとにかくきれいごとの、その場しのぎばっかりするようになった。そんなものは、差別用語の問題と同じ話で、ものごとの本質には何も手を触れずに、表面に覆いをかけて誤魔化しているだけのことだ。ㅤ

これは、日本のいやらしい文化みたいになってしまってるのかもしれませんね。おそらく戦争に負けた時ぐらいから酷くなったのではないのかなと私は感じていますが、日本人が大切にしてきた武士道の精神から行くと、あってはならないことなのですが、長い歴の中で自分や家族を守るためには致し方なかったのかもしれませんが、「臭いものに蓋をする」のは組織でいえば、大抵トップの位置近くにいる人たちでしょうから、何とも切ない話になりますね。

(11)ㅤ子供の教育で大切なのは、タガのはめ方と、外し方なのだ。タガを外しすぎれば、桶はバラバラになってしまう。タガをきつくはめすぎても長持ちしない。自由に何でも好きなことをしなさいと言われたって、何をしていいかわからないという子供が多いんじゃないか。自由というのはある程度の枠があって初めて成立する。なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。

これは、すごく大切な教えだと感じます。かたやま自身は、子供のころは枠があった方がいいとずいぶん前から思っていました。ただがんじがらめの枠は自分が嫌いなので、押さえつけるような枠ではないのですが、少し甘かったのかもと思ったところはあります。やってはいけないこととか、人として当たり前に生きていくというような「枠」ではなく、「一人の人格者」として子供たちを見て、親として大人として子育てはしてきましたから、親の自分がどのように思われていたのはわかりません。この辺りは子供たちが自分から何かを見つけ出して頑張っていれば、見えない枠の中で選択肢が多くなるような子育てをしていたのかもしれませんね。

それがいいとかではなくて、子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。という言葉は大切な教えだと感じました。

その枠を大きくするのも小さくするのも自由だと思います。大きな枠で育ったから、将来凄い人になるとは言えないし、小さな枠の中で育っても自分から飛び出していく人もいるでしょうし、答えなんか「枠」ではわからないというのが正直な気持ちです。

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