人生は「楽しむため」に存在している

 今日の話は怪しいのかもしれませんが、説得力はあると思います。

小林正観さんの本に出会って相当な影響を受けた自分が、今改めてそんな話を書き残すシリーズ。

この記事を読む人の心の中に残ってくれればいいと思いますし、人の生き方に正しいとか間違っているとかないと思います。

ただ、目の前に起きたことをどう捉えるかで、その人が次に取る行動は変わると思います。片山自身は全てニュートラル状態で物事を判断する癖つけをしてきました。

それを教えてくれたのは。正観さんだったと思います。

以下は小林正観さんの著書から拝借した記事になります。

私はこれまで、200人くらいの人から「臨死体験」(一度死んだと思ったのに、再び生き返ること)の話を聞いて、その話から「あの世までの構造」を、だいたい、このようなものであろうと考えてみました。

 心臓が止まると、「魂」は肉体を離れ、トンネルを抜けるそうです。トンネルを抜けると林があり、林を歩いていくと、お花畑が見えてきます。

 お花畑は、「自分が好きだった花」で満たされていて、おもしろいことに、花も、空も、雲も「半透明」で、色も形もわかるのに「透き通って見える」と、聞きました。

 お花畑を100メートルほど進んだ先には、「1本の川」が流れていて、川の流れは3種類。①「流れが速い川」②「せせらぎのように穏やかな川」③「流れがまったくない川」。この3種類の川を「三途の川」と言うようで、私たちは、そのうちのひとつの流れに出合うそうです。

 生前、誰からも愛されず、「よき仲間」にも恵まれず、「おまえなんか、いなければよかったんだ」と否定されながら生きてきた人は、「流れが速い川」を渡ることになるようです。

「愚痴も悪口も言ったし、でもときには喜んで、ときには幸せだった。一喜一憂しながら普通に生きてきた」という人は、「せせらぎのように穏やかな川」を渡るそうです。

 そして、愚痴や悪口を言わず、常に喜びに満ちあふれていた人、「喜ばれる存在」として「感謝」を忘れなかった人は、「流れがまったくない川」を渡る…と聞きました。

 60歳を過ぎたくらいの会社社長がいました。彼は30年あまり、ワンマン社長として辣腕を振るってきたのですが、ある日、突然、心臓麻痺で「臨死体験」をされたそうです。その社長から聞いた話です。

 肉体から抜けた彼の「魂」は、トンネルと林を通り、お花畑に差し掛かりました。すると、天から声が聞こえてきたそうです。

「川べりまで行ったら『人生のまとめ』について尋ねる。川べりに着くまでに、自分がどんな人生を歩んできたかを、まとめておきなさい」と。

 その社長は、人の20倍も30倍も努力をして、頑張って、怠けることも、休むこともなく、ただただ働き続けました。会社は大きくなり、従業員は1000人。商工会の役員も勤め、地位と名誉を手に入れたのです。

 自分が成し遂げた実績に自信を持っていた社長は、「努力し、頑張り続けた自分は、きっと神様に褒めていただける」と胸を張り、川べりまで歩いていったそうです。

 川べりにたどり着いたとき、再び、あの声が聞こえてきました。

「それでは『人生のまとめ』について聞く。人生をどれほど楽しんできたか?」

 社長は絶句し、答えられませんでした。なぜなら、「人生を楽しんだ」と思った瞬間は、ほとんど、なかったからです。言葉を失った社長に、天の声は言ったそうです。

「あなたは人生を勘違いして生きてきました。もう一度やり直しなさい」と。

「えっ」と思った瞬間、社長は意識を取り戻したそうです。社長はこの経験を「自分の頭の中で想像した話ではない」と断言しておられました。

「神様の声」は、「人生は、努力するものでも、頑張るものでも、地位や名誉を手にいれるものでもない」ということを教えてくれているのでしょう。

 では、人生は何のためにあるのでしょうか。

 人生は「楽しむもの」。つまり、人生は「喜ばれるため」に存在しているようです。

書きながら自分はこんな話を脳に叩き込んでいますね!

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