第一章 人生どん底を経験したHIROが再起を決意した3つの理由
第二章 20歳からギターを始めたHIROが音楽に救われた4つの瞬間
第三章 無人駅ライブを始めたHIROが8年間歌い続けた理由5つ
第四章 無人駅ライブでHIROが得たかけがえのない出会い4つ
第五章 現役ライブマンHIROが伝えたい人生を立て直すための考え方3
人生どん底を経験したHIROが再起を決意した3つの理由
人生には、どう足掻いても前が見えなくなる瞬間がある。
HIROにとってそれは、仕事を辞め、家に引きこもっていた20代前半の頃だった。
周りの友人たちは社会に出て前へ進んでいく。
一方で、自分だけが時間に取り残されている感覚。
何者にもなれず、何者にもなれないまま、ただ日々が過ぎていく――
そんな現実に、心は少しずつ擦り切れていった。
仕事を辞め引きこもり生活に限界を感じたから
高校卒業後に就職した会社は、わずか1年で退職。
その後の2年間、HIROは仕事もせず家に引きこもる生活を送っていた。
「このままじゃダメだ」
頭では何度もそう思う。
それでも体は動かず、未来も描けない。
何もしない自分が、どんどん嫌いになっていった。
そんな生活の中で、ある日ふと感じた。
このまま歳を重ねていく自分を、想像したくないと。
音楽だけは自分を裏切らなかったから
引きこもり生活の最中、父親が持ち帰ってきた一本のギター。
それが、HIROの人生を大きく動かすきっかけだった。
20歳。
音楽経験ゼロからのスタート。
指は痛く、Fコードすら押さえられない。
それでも、不思議とギターを触る時間だけは苦じゃなかった。
うまく弾けなくても、誰にも評価されなくても、
音楽だけは、そばから離れなかった。
このまま終わりたくないと強く思ったから
「遅すぎる」
「今さら無理だ」
そんな声が頭をよぎるたびに、HIROは自分に問いかけた。
――それでも、何もしない人生でいいのか?
答えは、はっきりしていた。
たとえ結果が出なくても、笑われてもいい。
挑戦せずに終わる人生だけは嫌だった。
こうしてHIROは、
“人生を立て直すための手段”として、音楽を選んだ。
20歳からギターを始めたHIROが音楽に救われた4つの瞬間
20歳から始めたギター。
周囲と比べれば、あまりにも遅いスタートだった。
それでもHIROは、
「今さら」ではなく「今から」を選んだ。
音楽は、少しずつ、しかし確実に、
彼の人生を前に進めていく。
初めてコードが押さえられるようになったから
ギター初心者が必ずぶつかる壁、Fコード。
指は言うことを聞かず、音は濁る。
何度も投げ出したくなった。
それでも毎日、ギターを触り続けた。
そして、ある日ふと、音が鳴った。
完璧じゃない。
それでも「ちゃんとした音」だった。
その瞬間、HIROは初めて実感する。
努力は、ちゃんと形になるということを。
路上で誰かが足を止めてくれたから
コードを覚えると、次は人前で歌いたくなった。
目指したのは、小倉駅の路上。
ケースもストラップもない。
足元には紙コップひとつ。
今思えば、無謀としか言いようがない。
それでも歌い続けていると、
通り過ぎるはずの人が、ふと立ち止まった。
たった一人。
されど一人。
自分の歌が、誰かの時間を止めた。
その事実が、HIROの背中を強く押した。
自分の歌が誰かに届いたと実感したから
路上での生活は、楽ではない。
稼げない日もある。
冷たい視線を浴びることもある。
それでも続けられたのは、
「よかったよ」
その一言があったから。
上手いかどうかじゃない。
有名かどうかでもない。
気持ちが届いた瞬間、
音楽はただの趣味ではなくなった。
音楽が生きる理由になったから
仕事も未来も見えなかった日々。
そんな中で、唯一前を向けたのが音楽だった。
ギターを持てば、自分でいられた。
歌えば、今日を生きる意味が生まれた。
気づけばHIROにとって音楽は、
夢ではなく、生きる支えになっていた。
そしてこの想いが、
後に「無人駅ライブ」へとつながっていく。
無人駅ライブを始めたHIROが8年間歌い続けた理由5つ
路上ライブといえば、都会の駅前や繁華街を思い浮かべる人が多い。
しかしHIROが選んだのは、人通りのない無人駅だった。
誰もいない場所で、なぜ歌い続けたのか。
そこには、HIROなりの覚悟と理由があった。
誰もいない場所なら本音で歌えたから
人の目が怖かった。
評価されるのも、否定されるのも怖かった。
だからこそ、最初は「誰もいない場所」を選んだ。
無人駅なら、失敗しても誰にも笑われない。
そこで初めて、
取り繕わない、自分のままの歌が歌えた。
田舎には路上ライブ文化がなかったから
都会には、歌う場所も、歌う人も溢れている。
一方、地元・山口の田舎には、路上で歌う文化がほとんどなかった。
「じゃあ、誰もやってない場所でやればいい」
無人駅は、人がいないからこそ目立つ。
ゼロから文化を作るという感覚が、HIROの心に火をつけた。
応援してくれる人が少しずつ増えたから
最初は、本当に誰も来なかった。
それでも毎月1回、同じ場所、同じ時間に歌い続けた。
すると、少しずつ変化が起きる。
「今日は歌う日よね?」
そんな声をかけられるようになった。
気づけば、
無人駅は「誰もいない場所」ではなくなっていた。
自分との約束を守り続けたかったから
無人駅ライブは、誰に強制されたものでもない。
やめようと思えば、いつでもやめられた。
それでも続けたのは、
自分で決めたことを、自分で裏切りたくなかったから。
歌い続けること自体が、
人生を立て直す訓練でもあった。
歌うことをやめたら自分が終わる気がしたから
もしここでやめたら、
また元の自分に戻ってしまう気がした。
逃げて、諦めて、何も残らない人生。
それだけは、もう繰り返したくなかった。
無人駅で歌い続ける8年間は、
自分を見失わないための時間だった。
無人駅ライブでHIROが得たかけがえのない出会い4つ
無人駅で歌い始めた当初、
HIROは「誰とも関わらずに歌うつもり」だった。
しかし8年間歌い続けた結果、
そこには想像もしなかった出会いが待っていた。
毎月通ってくれる応援者と出会えたから
最初は偶然立ち寄った人たち。
それが、いつしか「また来たよ」と声をかけてくれる存在に変わった。
特別な宣伝をしたわけでもない。
ただ、毎月同じ場所で歌い続けただけ。
続けることで、信頼が生まれる。
無人駅は、HIROにその事実を教えてくれた。
音楽仲間との再会が生まれたから
音楽から離れていた仲間が、
HIROの姿を見て、再びステージに戻ってきた。
「一人で歌ってたつもりが、気づけば仲間が増えていた」
無人駅ライブは、
人と人をもう一度つなぐ場所にもなっていった。
家族との関係を見つめ直せたから
歌い続ける中で、
HIROは自分の生い立ちや家族と向き合うようになる。
父との確執。
伝えられなかった想い。
それらを歌に込めることで、
少しずつ心の整理がついていった。
音楽は、
過去を受け入れるための手段にもなっていた。
人との縁の大切さを実感したから
無人駅で出会った人たちは、
年齢も立場もバラバラだった。
それでも共通していたのは、
「たまたま出会った」という事実。
HIROは気づく。
人生は、誰と出会うかで大きく変わる。
そして、
その出会いは行動し続けた先にしか生まれない。
現役ライブマンHIROが伝えたい人生を立て直すための考え方3つ
ここまで読んでくれたあなたに、
HIROは特別な成功論を語りたいわけではない。
無人駅で8年間歌い続けた一人の男が、
人生を立て直す中で、本当に大切だと感じたことを伝えたいだけだ。
遅く始めても人生は変えられると信じる
HIROがギターを始めたのは20歳。
音楽の世界では、決して早いとは言えない。
それでも、
「遅いから無理」ではなく
「遅いけど、やる」を選んだ。
人生に“手遅れ”なんてものはない。
やめた瞬間が、本当の終わりだ。
続けることでしか見えない景色を知る
無人駅ライブは、すぐに結果が出る活動ではなかった。
人が来ない日も、心が折れそうな日もあった。
それでも続けたからこそ、
応援してくれる人と出会い、
自分自身を誇れるようになった。
才能よりも、継続が人生を変える。
HIROは身をもってそれを知った。
人との出会いを大切にして生きる
人生は、一人では立て直せない。
必ず、誰かとの出会いが必要になる。
無人駅での偶然の出会い。
音楽を通じた縁。
家族との関係の再構築。
すべては、行動したからこそ生まれたものだった。
人生どん底からでも、人は何度でもやり直せる
無人駅で歌い続けた8年間は、
HIROにとって「夢を追う時間」ではなく、
自分を取り戻す時間だった。
もし今、
「もう遅い」
「自分には何もない」
そう思っているなら。
それでも、一歩踏み出してほしい。
HIROの物語は、
人生は何度でも立て直せることの証明だから。



コメント