小林正観さんの記事の紹介を何本かしてきました。
書き始めていくとキリがありません。興味がある方はAmazonなどで
本を買い求めていいと思います。
ヘッダー画像に示したように、たくさんの著書がありますが、この3冊に集約していると思います。
人の生き方は自分の考え次第ですが、どうしても迷ったりしますし、これでいいのかと自分に自信がなくなったりすると思います。片山自身もそう言った経験があって今があると感じていますが、正観さんの教えは多くの人が分かりやすく、気づきやすいと思います。
知らなければよかったというような考えもあまりないように感じていますのでお勧めします。
長く生きていますと、日々色々なことが目の前に起こってきますが、根本的なことはとてもシンプルだと片山は感じています。
ただ多くの方達がシンプルに考えられるのかというと、それは人それぞれだと思います。
この特集の最後になると思いますが、正観さんらしい文章を書いてみます。
一般的な「不幸」は、「幸せ」の前半分である
丸1日、山の中で遭難をして「何も食べられなかった」とします。
その1日があったからこそ、助かったときに口にした「一杯のお粥」が、この上なくおいしく、楽しく、幸せなものになります。
しかし、毎日、贅沢な食事ばかりしていたら、一杯のお粥の価値はわかりません。
一杯のお粥に喜びを感じるためには、その前に、一般的に「つらくて悲しいこと」と言われる現象が存在しなければならないのです。
「空腹」の結果として、「おいしい」という幸せが存在します。空腹の度合いが大きければ大きいほど、「おいしさ」も増加します。
つまり、「おいしい」という幸せを味わうには、「空腹」という不幸を味わわねばならないのです。
「空腹」と「おいしい」は、独立した現象として存在するのではありません。
「空腹」と「おいしい」はワンセットであり、「空腹」は「おいしい」の前半分の現象だと考えることができます。
「幸せ」を「私」が感じるためには、その前半分の現象として、世間一般的に「つらく悲しい」と言われる出来事が必要です。
「山で遭難した」という現象があったからこそ、一杯のお粥の温かさに「幸せ」を感じることができたのです。
私の講演会を主催してくださる方が、お正月に手首を骨折してしまいました。
私はそのことを知って、「骨折をしたのは、はじめてですか?」と尋ねました。今までの人生で骨折をしたことはなく、「生涯に一度の出来事」だったそうです。
私が「骨折してから数ヵ月後に、すごい出来事がありませんでしたか?」と聞くと、「ありました!」と答えました。
その方は俳人なのですが、骨折をしてから、権威のある「俳句雑誌」の巻頭を飾ったのです。
俳句仲間からは、「あの雑誌に選ばれるなんてすごい。おめでとう」と、お祝いの言葉をたくさんいただき、「一生に一度の快挙」だと感じたそうです。
この方にとって、「手首の骨折」は、「雑誌に選ばれる」という幸せの「前半分」です。
生涯に一度しか起きないようなこと(大事件や大事故)に遭った人は、それから半年以内に、その代償を支払ったことの「本体」がやってくるようです。
自分にとって「嬉しくて、楽しくて、幸せ」だと思えることが待ちかまえているのです。
10年に一度しか起きないような「つらい体験」をした人は、その半年以内に「10年に一度しか起きないような、嬉しい体験」をするようです。
「前半分」と「後ろ半分」で必ず「幸せのワンセット」になっています。
ですから、「つらいこと」があったときは、「嬉しいこと」の先払いをしていると考えてみたらどうでしょうか。
ただし、この先払いシステムには、ひとつだけ条件があります。「喜びの本体」を受け取る前に、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句を言わない」ということです。
恨み言や不平不満を言うと、せっかく代金を先払いしたのに「商品(本体)が届かない」ことにもなりかねません。
誰が見ても「大変だ」と思うことが起きても、ありのまま受け入れる(感謝する)。文句を言わない。
その実践ができている人だけに、「先払い現象」が起きるようです。
先払い現象なんて小林正観さんらしいと片山は書いていて思いましたね。
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