創造力と言う言葉がありますが、インターネットの時代になってその創造力の使い方が飛躍的に変わってきたように思えてならない。そう感じているのは自分だけではないと思うが、今から約半世紀前の1965年にアメリカのスタンフォード研究所とカルフォルニア大学ロサンゼルス校が、コンピューター上でデーターのやりとりができるシステムを作ったのがインターネットの始まりだと言われてる。
この日本では20年ぐらい遅れて1984年に慶応義塾大学と東京工業大学が繋がったらしい。かたやま自身インターネットを使ったのは1996年ぐらいだと記憶している。
グーグル検索や、ネットの情報の氾濫などもあって1995年から10年間で情報量は500倍以上になったということが以前言われていたし、今ではもっとその情報量は増えていると思う。
更に情報量の多さだけではなく、伝える速さや拡大していく範囲も最初の頃とは全く違う。最近思うのは、自分が処理できる能力は以前とそんなに変わっていないので、一時期よりは見ない情報や、選ばれない情報、捨てられていく情報の方が増えたなと感じる。
簡単に言うと、自分に必要のない情報は、どんどん捨てられていってるんだなっと思う。これは自分が感じることなので、多くの人がそうだとは思わないけど、恐らくですが、興味のないこと以外はどんどんスルーされてしまう時代なんだと感じる。
情報の質も最近は言われてますが、そんな事よりもTikTokなんか見てると、質よりも伝える技術の方が重要なのかもしれないと思う。短い時間の中でどれだけのインパクトを見ている人に与えられるかは、質や量ではなく技術の世界だと思っています。
歌詞の中でも、有名な「世界に一つだけの花」と言う歌を例にとれば、「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」という歌詞に誰もが心打たれたと思う。短くて強い言葉はインパクトとして人の心の中に残るものだと感じる。
学生の頃、授業中「ここはテストに出るぞ」と先生が言えば、チェックしたい人は多いと思うし、「ここだけの話ですが」とか「誰にも言わないでね」と前置きして話し始めると、聞く人は身を乗り出してきたりします。
これって、全て技術を知っているかどうかの話ですが、答えをインターネットの中に求めていると、知識は増えても、人の心をわしづかみ出来るような言葉は恐らく話すことは出来ないと思うし、インパクトのあるコピーなんかも出てこないと思う。
創造力の源は、自分がやりたいことを突き詰めていく時によく出てくると思ってるので、答え探しよりは、答えの出てこないような事をして行くのもいいかもしれませんね。
「入れ歯が飛んでも大丈夫!気がつきません!!失禁だけは気をつけて下さいね。75歳以上限定のお笑いライブ」とか、彼女をデートに誘うなら「腰が抜けるほど上手いパスタの店見つけた」とか、「この前行った動物園になぜかハゲのアルパカと、壁で爪をといでるカバを見つけたから行きませんか」?とか・・・ダサいかもW
情報は伝え方が大切ですし、言葉の使い方ってもっと大事だと思う。捨てられない話ししないといけないなって思うけど、好きな人が見てくれたらいいと思って書いているブログなんです。
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