その昔、この国はとても貧しかったと聞いたことがあります。
時代が変わりそんな話は本当の昔話のようになりました。ただ今でも貧困だという言葉がテレビなどで流れてきます。
今日は、以前かなり話題になった佐賀の「がばいばあちゃんのの教え」から引用してみます。
ばあちゃんは様々な工夫をして生活をやりくりしていました。常々、「拾う物があっても。捨てる物はないと」言っていましたが、今でもよく覚えているのは、ばあちゃんが外から帰って来る時はいつも「ガラガラ、ガラガラ」と音がしていました。腰に結んだひもの先に磁石を付けて、それを引きずって歩いているんです。
「ただ歩いたらもったいなかとよ。磁石をつけて歩いたら、ほら、こんなに儲かるばい」
磁石のついた釘や鉄くずをバケツに溜めて売りに行くのです。落ちてるのに拾わんかったらバチが当たるって。
片山:さすがに今の時代これは儲からないと思いますが、「ただ歩いていたらもったいない」は今の時代も通じる言葉で、ひらめきなどは歩いている時などに浮かぶことが多いそうです。話は続きます。
それから、家の側に流れている川に棒を渡して、棒に引っかかる木の枝や木っ端を乾かして薪にしていました。「川はきれいになるし、燃料費はただ。まさに一石二鳥だね」
川の上流には市場があって、曲がったり、少し傷んだりして、売り物にならない野菜や果物も流れてきます。ばあちゃんは「曲がったキュウリも、刻んで塩でもんだら一緒。傷んだものは、そこだけ切って使ったら同じ。」と、大半の食料を川に流れてくるもので賄っていました。ばあちゃんは川のことを「スーパーマーケット」と呼び、わざわざ宅配までしてくれる、勘定もせんでよか、と川をのぞき込んでは笑っていました。
僕はある時ばあちゃんに、「うちって貧乏だけど、そのうち金持ちになったらいいね!」と言ってみたことがあるんです。するとばあちゃんはこう言うのです。「なにを言うとるの、貧乏には二通りある。暗い貧乏と、明るい貧乏。うちは明るい貧乏だからよか。それも、最近貧乏になったのと違うから、自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。第一、金持ちは大変と。いい物を食べり、旅行に行ったり忙しい。それと良い服を着て歩くから、こける時も気ぃつけてこけないとダメだし。その点、貧乏で最初から着た服着ていたら、雨が降ろうが、地面に座ろうが、こけようが、何してもいい。ああ、貧乏でよかった」と。
本当は辛かったと思いますよ。でも見せなかったね、暗いところは。やっぱり七人も小さい子供がいる時に、自分が泣いたら子供は終わっちゃうじゃないですか。だから絶対泣くところは見せなかった。逆にケラケラ笑っていました。
ご飯の時も、「こんなに食べる物がない家庭も珍しかばい」って笑うんですよ。僕もよくわからなかったけれど、笑うしかないから一緒に笑っていました。アハハハッてね。とにかく命がけで育ててもらったものね。大きくなるにつれて、そういう苦労がだんだんわかって来るんです。今になって気づくこともあるし。
引用:1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書
今の時代には、あまり関係ないように思える話だったかもしれませんが、豊かな時代だからこそ教えられることが自分にはあります。世の中には成功者の話はあふれていますが、貧乏を自慢している話はあまりありません。人は与えられた環境をどう生きていくかで、その後に続く子供たちの中に必ず何かを感じさせるものだと思います。大人は真剣に生きることでちゃんと未来を作っていってるのかもしれません。
それは、貧乏と裕福とかではないと感じています。人それぞれ抱えている問題もありますからね。だからこそアハハハッっと笑い飛ばすぐらいの、面白さは持っていた方がいいのかもしれませんね。
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