なぜかピカソの話の続き

ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として有名です。

それぞれの時期が「○○の時代」と呼ばれ、親しまれています。

圧倒的に自分の内面を画風に表しているので、よく色彩心理などで

使われたりします。

「ゴッホ」なんかも良く内面が現れている画家だと思いますが・・・

今日はピカソで

主なものはつぎの6つの時代がありました。

親友カサヘマスの自殺にショックを受け、青く暗い色調で軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、芸術家などを描いた「青の時代」(一九〇一-一九〇四)。

ちょっとくらい風潮の絵がたくさんあります

フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人などを描いた「バラ色の時代」(一九〇四-一九〇七)。

もうこの時代はよほど幸せだったのでしょう。ピンクを良く使っています。

アフリカ彫刻の影響を強く受けた「アフリカ彫刻の時代」(一九〇七-一九〇八)。

ブラックと二人でキュビズムを突き詰めていった「分析的キュビズムの時代」(一九〇九-一九一二)。

この頃から、画風一気に変わります。

コラージュ技法を発明した「総合的キュビズムの時代」(一九一二-一九一八)。

古典的でかつ量感のある母子像を描いた「新古典主義の時代」(一九一八-一九二五)。

有名な「ゲルニカ」は、こんな時代の後の第二次世界大戦の中描かれています。

そして晩年、すべての画風を一まとめにしたような、絵を書き始め

亡くなる5年ぐらい前の

1968年、彼は三四七点におよぶエロティックな銅版画を制作しています。

多くの批評家がこれを「不能老人のポルノ幻想」、または「時代遅れの画家のとるにたらぬ絵」とみなしました。長い間支持者の友人さえ、

「狂った老人の支離滅裂な落書き」と評しました。

時間がたってみると、晩年のピカソは、後の新表現主義を先取りしていたことに多くの人が、気づかされました。

ピカソは死ぬまで、時代を先取りする画家であり続けたのでしょう。

そして、老いても生きることのエネルギーを、自分から絵にぶつけていたのでしょう。

すべての経験を、一つの事に表せる感性!

ピカソの場合、絵だったのでしょう。

と、僕が解説しても始まりませんが・・・

さて、多くのみなさんは、このピカソに何か生きるヒントは

感じられるでしょうか?

何か一つの事に打ち込む事により、自分の姿が浮き彫りになる

そしてそれが、多くの人に影響を与えるようになる。

それは、たとえ身近な友達や、たった一人の恋人でもいいと思うのです。

良いも悪いも自分の生き様は、自分で決めていいのですよ 最近色の話が多いな~

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