アホで良し

子供のころ学績優秀な人が世の中で立派な人になっているかというとそうでもないと思うかたやまです。

確かに、物事を深く追求したり、洞察力が優れている人のタイプには、俗にいう学力は必要なのかもしれません。ただ、世の中で生き抜いていく人のタイプは少し違うと思っています。

それが、「地頭」がいい人だと思います。

今日は、学力とは違う「地頭」のいい人の一つのタイプになる話をしてみます。

筑波大学名誉教授、村上和雄氏の心に響く言葉より…

ものごとを単純に考えて、あまりむずかしくとらえない。

こういう人も神に祝福されやすい人だといえます。

たとえば、いつも周囲の人に感謝しなさい、何に対しても、「ありがとう」の思いをもちなさい。そうすれば必ずいいことがある。

そんなふうに人から諭されて、「はい、そうしましょう」と素直に応じる人は少ないでしょう。

たいていの人は、それなら自分の悪口をいう人間にも感謝しなくてはならないのか、病気になってもありがとうといえというのかといった疑問を抱くはずです。

自分に向けられた悪意にたいしても感謝できるか――これは人間にとって、いわば宗教性を帯びた重要な命題ともいえるものですが、この問いを突きつけられたとき、私は一人の人物の逸話を思い出します。

良寛です。

いうまでもなく、江戸時代の僧侶でありながら生涯寺をもたず、酒を愛し、多くの詩歌を残した、あの良寛和尚です。

その良寛が舟に乗ったとき、船頭が意地悪をしてわざと舟を揺らして良寛を水中に落としてしまう。

溺(おぼ)れそうになっている良寛の姿をさんざんあざ笑ったあとで、ようやく舟に引き上げる―そんな悪質ないやがらせを良寛は船頭から受けるのです。 

ところが良寛は、その船頭をとがめるどころか、「おかげさまで命を助けていただきました」とていねいに礼を述べる。

そういうエピソードです。 

このとき良寛の心のうちを占めていたのは、どんな心情だったのでしょうか。

屈辱感を抑えて相手の愚行を許そうとする大きな寛容の心か。

それとも、そもそも人間の心に悪意というものを認めない、したがって、ただ助けてもらったことへの十全な感謝の思いか。 

私はその両方であったような気がします。

子どもの心こそ仏の心といって、実際に子どもとよくかくれんぼをしたり、手まりをして遊んだという良寛はほんとうに子どものような単純な心で、何にたいしてもありがとうと感謝する。

そういう鈍な生き方を貫いた人物であったようです。 

人間は悪行、善行、どちらも行える、天使でもあれば悪魔でもある存在ですが、良寛はおそらく、人間の本質を悪よりも善に見いだす。

そういう心境にまでなっていたので、自分にたいする悪意に感謝で報いたのだと思うのです。 

それは「お人よしの極み」であり、見方によっては「究極のアホ」ともいえる生き方ですが、一つのたしかな幸せな人間の生き方でもあったと思います。 

こういう例を見ると、良寛がみずからを「大愚」と称したように、いいときはもちろん、悪いときも、とにかく「ありがとう」という感謝の念を抱く、単純素直でスケールの大きな愚かさにかなうものはないと思えてきます。 

意地悪をした船頭と、その意地悪に感謝でこたえた良寛。

どちらが天の意や理(ことわり)にかなうものかはいうまでもありません。

病気になっても、ほんとうにありがとうといえるのか? 

けっしてむずかしいことではないはずです。

なぜなら、大きな病気をした人ほど命の大切さに気づき、生きている生かされていることへの感謝の念がわいてくるからです。

さて、良寛さんはお坊さんでしたから、こんな考えもあっていいと思います。

次に話すのは、かたやまが知っている話で普通の人の話になります。

江戸時代に、たーどんという方がいました。

たーどんは、お母さんが子供の時になくなって、継母に育てられるようになります。その継母は彼にひどく当たりました。

あまりにもひどい仕打ちなので、ある時川に入って死ぬことを決意します。そんな時炭問屋の大将に出会い、自殺することをやめます。そしてその大将のもと炭問屋の仕事を一生懸命にやります。ある時アイデアが出て炭問屋から独立することになります。

アイデアとは「たどん」今の時代ではあまり使われていませんが、「たどん」は一世を風靡するようになります。

たーどんが考えた「たどん」のおかげで、たーどんの事業は大成功して大金持ちになります。そしてたーどんは、豊かになったお金を使って、死のうと思ったほど嫌いだった継母にお家を建ててあげます。

この話を聞いて、あなたはどう思いますか?

かたやまは、これぞアホの極致だと思います!ただ感謝の気持ちの極致なのかもと思いました。

それは、「あなたがいたから今の自分がある」と思える心です。

生きていると、目の前に嫌な人も出てきます。実際そんな人の方が多いのかもしれません。ただある時を境にそんな人が目の前に出てこなくなる場合が実際あります。

まぁ、かたやまの体験として言っているだけなので、信じなくてもいいですが、人は「アホ」ぐらいがちょうどいいのかもしれませんという話でした。

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コメント

    • kamiyui
    • 2023.02.07 3:32pm

    @Daddy上田
    嬉しい初コメントありがとうございます。
    これからも楽しく書いていきます。

    • Daddy上田
    • 2023.01.30 10:49am

    素敵なお話をありがとうございます
    次回を楽しみにしています!

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