その昔のはなし

今から17~8年ぐらい前でしょうか?

小林正観さんという方が書かれた本に出合いました。

おやじギャグ連発の、本の内容に心を鷲掴みにされました。こんな人がこの世の中にいるんだと思ったのと、なぜ有名になっていないのだろうか?と不思議でした。

世の中が、ちょうど変わり目に来ていたのかもしれませんが、それから1年ぐらいしてからでしょうか、多くの出版会社が正観さんの本を、出すようになっていきました。

「宇宙の法則」「ありがとうの奇跡」など今では、多くの方が言っていますが、宗教臭くなかったのは、正観さんが一番だと私は思っています。

そんな正観さんは、わかりやすくずばりと人の生き方を、従来の常識を180度変えるような事を、実にわかりやすく教えてくれました。

例えば・・・
●臭いものには、ハエが寄ってくる。 

●芳香を放つ可憐な花には、ミツバチ、モンシロチョウが寄ってくる。 

●もっと大輪の美しい花には、アゲハチョウが寄ってくる。 

などと自然界のことを言いながら、人の世界に入っていきます。

自分はいい思いができていないという人は、投げかけていないのかもしれません。 

だから、自分は恵まれていない、喜べるような状況に囲まれていない、というのであれば、そこから本気になって投げかけを始めてみたらおもしろい。 

今までは、いかにいい思いをするか、を考えてきたのでしょうが、それをやめる。 

「職場で、どうしても好きになれない人がいます。でも『ありがとう』という言葉をなるべく言うようにしているのですが、それでも気持ちがすっきりしないのです」 という方がいらっしゃいました。 

それは、その人の現在の状況をあらわしているのです。

●臭いものには、ハエが寄ってくる。 

●芳香を放つ可憐な花には、ミツバチ、モンシロチョウが寄ってくる。 

●もっと大輪の美しい花には、アゲハチョウが寄ってくる。 

という構造になっています。

要するに、ガ(我)があるとチョウが寄ってこないのです。 

自我でものを選り分けているうちは、良いものが寄ってこなくなる。

「どうしても好きになれない人がいて……」と言った瞬間に、人を好き嫌いで分けているレベルの人なのだから、「そのレベル」の人ばかりが集まってくるようになっています。

それが宇宙の摂理。 

こんなこと、信じられる人が当時どれだけいたのでしょうか?

私は妙に腑に落ちて、何となくですが実行はしていました。

また、こんなことも本の中には書いています。

そして、人に対して「好きだ、嫌いだ」を言わなくなった人は、おもしろいことに、 嫌いだと思うような人が寄ってこなくなる。 

だから、「嫌いな人がいるのですが、どうしたらいいでしょう」と言っている間は、ずっとその状態はつづきますと。

その人のレベルに合った人がくるのです。

「嫌なことを頼まれるのですが、どうしたらいいでしょう」と言っている人は、その人のレベルに合った頼まれごとがきているのです。 

自分の職場で何もかも不満だらけで悩んでいる、という方がおられました。

「あなたは今まで自分がいかに満足するか、ということについては、たくさん考えてきたのでしょう。でも、まわりの人にいかに喜ばれるか、ということを考えて生きてきたことはありますか」 と言うと、「えっ」と小声で叫んだきり黙ってしまいました。 

宇宙の構造というのはすごく簡単で、自分が一度も喜ばれようとしてこなかったのに、自分が喜びたい、喜びたい、何も自分の思いどおりになっていかない、と叫び続けても叶うことはないのです。

私は、この方に、 「投げかけてこなかったのだから、それでは自分が喜べる現象が起きてくれるようにはなりませんよね。あなたは今まで、自分の思いどおりにならないので、自分の楽しいように世の中や自分の周囲が変わってくれるべきだと、ずっと思ってきたのではないですか」 と言うと、「そうだ」と答えました。 

自分が何も宇宙に対して喜ばれることを投げかけていないのに、自分が満足できるようにといくら叫んでもダメです。

自分が投げかけていないのなら返ってきません。

おもしろいことに、要求している人ほど投げかけていない。

構造がわかっていないから要求ばかりするのです。 

究極の損得勘定とは、自分に楽しいことが宇宙から降ってくるという人生がほしいのであれば、たくさん投げかけること。

喜ばれるように投げかけると、自分にとって喜べるようないろんな現象が降ってくる。

嫌がられるようなものを投げかけていると、自分にとって嫌な状態に囲まれて生きていくことになる。

次から次へと面倒くさいことが起きてきます。 

その方は今まで、「ああ大変ね」と言ってくれる人は多かったと思いますが、「投げかけていない」と言われたのは初めてだったのでしょう。 

私の主宰する「うたし会」は、「うれしい、たのしい、幸せ」だけ考えていれば、あとは考えなくていいという集団。

どうやって儲けようかとは考えない。 

どうしたら売り上げがあがるのか? 人が来るのか? という問い自体が間違っている。

矢印が逆。

「いかに自分がいい思いをするか」、ではなくて、「どうしたら喜ばれるか」だけ考えていればいい。

この考え方は、のちに出会う、最高の師匠と慕った、「斎藤一人」さんと全く一緒の思考だったのです。

グチや不平不満、泣き言ばかり言っている人は、グチや不平不満、泣き言がいいたくなるような状況が何度もやってくる。

なぜ、自分ばかりこんな、つらい嫌なことばかり起こるのだろう、と言っている人は、つらい嫌なことばかりまた起こる。

そして、いつも暗い顔をして、不機嫌で、笑顔がない。

すると、まわりには、「あたなも大変だね」と同情する人が集まる。

どんなときも、楽しい、面白い、ツイてる、幸せ、ありがとうと感謝多き人は、楽しくて、面白くて、ツイていて、幸せで、感謝多きことばかり何度も起こる。

だから、いつも明るくて、機嫌がよくて、ニコニコと笑顔でいる。

すると、まわりには、楽しくて、面白くて、冗談や、笑いが絶えない人たちが集まってくる。

楽しいことがないから、楽しくないという人がいるが、順序が逆なのだ。

投げかけたものが返ってくるのだから、先に楽しい言葉を投げかけなければ、楽しいことは返ってこない。

楽しい言葉とは、「今日も楽しいね」とニコニコ顔でいうこと。

「今日も楽しいね」と言ってくれる人とは、また会いたくなる。

「投げかけたものが返ってくる」という言葉を胸に刻みたいですね。

その昔のはなしは、今でも十分通じると感じます。

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