気遣い

北野武さんの言葉に対して感じたことを書いてきている7回目。

生きていて気持ちがぶれない人はいないと思います。

ただ、そのような中で、「ブレていない」と思われるような人にかたやまは見られたいと思っています。こんな考えにもっと早くなっていれば・・・

もっともっと若い時に、厳しく言われていたらなっと思ったりします。

そんな環境にいたと思うのですが、性格が能天気だったので、今思えばそれも仕方ないのかなと自分を許しています。

さて、本題に

(12)金のことでつべこべ言うと、
母親にこっぴどく叱られたものだ。
誰だって、金は欲しいに決まっている。
だけど、そんなものに振り回されたら、

人間はどこまでも下品になるというのが
俺の母親の考えだった。
貧乏人のやせ我慢と言ったらそれまでだが、
そういうプライドが、俺は嫌いじゃない。

この考えは好きですね。ただある一定の金額を稼いだ人が言えることかもしれませんね。

育った環境がマイナスでも、成長して稼いだからこそ、母親の教えも生きてくるのだと感じましたし、金は欲しいに決まってるという言葉の後ろには、色々な意味が隠されていますね。

(13)作法というのは、
突き詰めて考えれば、他人への気遣いだ。
具体的な細かい作法をいくら知っていても、
本当の意味で、
他人を気遣う気持ちがなければ、
何の意味もない。
その反対に、作法なんかよく知らなくても、
ちゃんと人を気遣うことができれば、
大きく作法を外すことはない。
駄目な奴は、
この気遣いがまったくできていない。
人の気持ちを考えて行動するという発想を、
最初から持っていないのだ。

相手を立てるということが、大切なんだと思いましたね。

自分も作法を本格的に習ったことはないので、ちゃんとした場所に行ってしっかりとした蘇峰などできません。ただ作法が出来ないからと言って恥ずかしいというよりは、知らないだけ。

知ろうと思えば勉強すしかないけど、人の気持ちを考えて行動するというのは、勉強してもできることだはないと思う。感性の部類なので、気づきがないと歳を重ねても変わらない部分かな?

(14)どんなにワインに詳しくても、
ソムリエにワインのことを語ってはいけない。
そんなことをしたら、
ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。
「このワインはどうして美味しいの?」
と、聞くべきなのだ。

これは知った道も聞いていけという昔のことわざにもありますね。

うんちくをどんなに知っていても、場をわきまえてねってことです。

自分が語るより、その道のプロからもっといい情報を聴ける機会を自分から捨てていくタイプになりますね。気をつけないといけませんね。

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